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変わらないもの



土曜日。「トリノエジプト展」へ行ってきた。

正直、エジプトとか興味ないし、とか思っていて、まったく期待しておらず。
結果、観に行ってほんとうによかった、とおもった。

エジプト関係の本を読みたいなあと思うくらいに。

紀元前何千年とかいう、「それって何年前ですか?」って聞きたくなるような時代に作られたものとは思えない精巧な作品の数々、とかそういうことに感動したというよりも。
精巧に見えてもそこに「人」の存在を感じさせるものがかわいらしく思えてしかたない。

古代エジプトの人たちは、人間がどうにもできない自然界の脅威を(例えば天災や、蛇の毒やライオンの獰猛さなど)恐れるだけでなく、敬い、神として崇めていた。
中でも「死」に対する恐怖は、どれほどだったのだろう。

彼らは、現在生きているこの姿は仮で、死後の世界にこそ本当の姿があると考えていたらしい。
それは「復活」という言葉で表現されているのだけれど、「亡くなった人を悼みながら、その人の復活のときのために数々の準備をする時間というのは、彼らにとって満たされた時間であったにちがいありません」という解説に、すこし泣きそうになった。

棺にぎっしりと刻まれた文字や絵たち。
一体どんな気持ちで、これを彫ったのだろう。
きっと、その人とのことを色んな人たちが思い出して、そこに何を残そうと一生懸命話をしたり、一晩中考えたのだろうな、とか、そうでもなくて結構お役所仕事ぽかったり、現代のお坊さんのお経みたいな決まりきった文句なのかもしれないとか。

たくさんの彫像のなかには、偉い人たちだけじゃなく、ふつうの家族の姿や、亡くなったお母さんとか親子かお友達のツーショット、なんてものもある。
写真がない時代に、どうしても形にして残したくてこういうものを作ったのだろうかと色々考えたら、じーんときた。

今あるもの、過ごしている時間を、すべて「仮の姿だ」と考えていた彼らにとって、現世の幸せというのはとても儚いものに感じられたのかもしれない。
人間のちっぽけさを自覚し、自然を敬うその姿勢はとても一途で、ただひたすら石や木に祈りを刻み込む人々の姿を想像すると、「生きている」ということについて考えさせられる。

今私たちが必死に残そうとしているものは、何千年もののちに誰かの心に届くのだろうか?
肩肘をはってカッコつけて見栄を張って作られたものよりも、案外、普段の営みの中で残された何でもないモノが心に響いたりするのかもしれない。
それこそが、時代を超えて繋がっていく共感。人間って、時代が変わっても根本はなんにも変わらないのだとおもう。

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